電気代のイメージ

日本における電気の歴史〜日本初の電灯から電力自由化まで〜

今となっては、私たちの暮らしに欠かせない存在である電気。2016年4月の電力自由化スタートで、電気事業は大きな転換点を迎えました。

2016年9月現在で345社も登録している電力会社ですが、実は100年以上前の日本でも、今と同じような状態だったんです。

では、日本における電気事業はどんな歴史をたどってきたのでしょうか。電気事業の歴史をひも解いてみましょう。

日本初の電灯は東京・銀座にあった

あなたは、日本で最初の電灯がいつ、どこに灯されたか知っていますか?

日本で最初の電灯は、1882年(明治15年)に東京の銀座に灯されました。今から130年以上前の出来事です。今となってはどこにでもある電灯も、当時は大変珍しい物。連日、多くの見物客が訪れたそうです。

その後1886年(明治19年)には、現在の東京電力の前身ともいえる東京電灯会社が、日本初の電気事業者として開業。翌年には名古屋電灯、神戸電灯、京都電灯、大阪電灯が相次いで設立されました。こうした電力会社は、その後も各地に設立されています。

一般家庭への電力供給は1887年にスタート

現在のような一般家庭への電力供給は、1887年(明治20年)にスタートしました。供給が始まってからというもの、電気は明るくて便利ということで、需要は一気に伸びたといわれています。

こうした中、東京電灯では1895年(明治25年)に浅草発電所から市内への一括送電をスタート。それまでは小規模な発電所が市内に分散し送電距離も短いものばかりだったのが、ある場所に集中した大規模な発電所から遠方に送電できるようになったのです。

なお、このときに浅草発電所で使用していたドイツ製の発電機が、周波数50ヘルツのものでした。このため、現在も東日本では50ヘルツが標準となっています。西日本では60ヘルツが標準となっていますが、これも1897年に大阪電灯が使用したアメリカ製の発電機の周波数が60ヘルツだったことに由来しています。

電気の需要はその後も伸び続け、1907年(明治40年)には全国に146もの電気事業者が設立されています。当時は全国各地に多くの電気事業者が存在し、シェア争いを繰り広げていたというわけです。

100年以上前の話ですが、電力自由化後の現在と似ていますね。歴史は繰り返すというのは本当のこと。

電力会社の再編が進む

大正時代に入ると、第1次世界大戦の勃発などにより日本国内は軍需景気に沸きました。東京などでは電灯も完全に普及。ラジオ放送の開始や地下鉄(浅草〜上野間)も開通し、人々の暮らしは一層豊かになりました。

しかしその後、第2次世界大戦がはじまると、電力は国によって管理されるようになります。1938年には「電力管理法」が公布され、翌39年に施行。これまで電力事業者がそれぞれ行っていた発電と送電を、日本発送電株式会社という半官半民の1社が取りまとめ、管理することとなりました。

それから2年後の1941年には「配電統制令」が公布、施行されます。日本発送電株式会社が管理している送電網に、各事業者が管理していた配電設備を接続。重複する設備を撤去するなどしてコスト削減をはかり、電気料金を抑えることを目指しました。

配電統制令により、全国各地にあった配電業者は全て解散。沖縄を除いた全国を9つのエリア(北海道、東北、関東、中部、北陸、関西、中国、四国、九州)に分け、それぞれのエリアごとに新しい配電業者が設立されました。このときのエリア分けこそが、2016年3月までの地域電力会社の供給エリアの元となったものです。

この「電力管理法」と「配電統制令」によって、電気事業は日本発送電株式会社と全国9つの配電会社によって管理されることとなりました。

戦後は大規模な電源開発が進む

終戦から6年経った1951年、それまで日本の電気事業を管理していた日本発送電株式会社と9つの配電会社は、GHQによって解体。そして新たに、全国9地域の民間電力会社に分割されることになります。

これら9つの民間電力会社が、発送電を一括管理する体制が確立したのがこの時期。以来、部分的に変わったところもあるものの、60年以上にわたってこの体制が続きました。

一方、一般家庭ではテレビや冷蔵庫、電気洗濯機といった「3種の神器」などが普及。高度経済成長期の経済発展に伴い、電力需要も大幅に伸びました。これに対応するため、各電力会社では大規模な電源開発に力を入れ始めます。黒部ダムをはじめとした水力発電施設や、火力発電施設が相次いで建設されたのもこの時期です。

さらに、石油ショックなどの経験から、資源の乏しい日本では原子力の開発も進みました。1970年代以降、多くの原子力発電所が建設、稼働。現在、多くの原子力発電所が運転開始から40年を迎え、廃炉か運転延長かの議論となっています。

電気事業法の制定と改正

最初に電気事業法が制定されたのは、1964年(昭和39年)のこと。私たちが安心して電気を利用できるよう、電圧や周波数の規定値を維持することなど、電気事業者が守らなければならないことが定められた法律です。

この電気事業法が初めて改正されたのが、1995年(平成7年)。平成に入り私たちの暮らしが変わり、電力需給がひっ迫する傾向が強まってきていた時期です。電力供給に関するコストが高いことも問題になっていたため、電気事業法を改正。発電部門に競争原理を導入することや、料金規制を見直し選択約款を導入することなどが定められました。

さらに、高コスト体制を見直し、世界的に見ても「高い」と言われる日本の電気料金の水準を下げるため、2000年(平成12年)にも電気事業法は改正されます。このとき、小売部門を段階的に自由化することなどが盛り込まれました。以来、大口の需要家から段階的に電力自由化がスタート。2016年4月には一般家庭向けも自由化が行われ、小売部門は完全に自由市場となりました。

これからも続く、電気事業の改革

ただ、小売部門の自由化ですべてが終わりではありません。現在も電気事業に関しては、改革の真っただ中。最終的に、2020年発送電分離を行うことを目指しています。

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今さら聞けない? 電力自由化と発送電分離って何?

これからも、私たちの目に見える部分はもちろん、目に見えない部分でも電気を取り巻く状況は変わり続けることでしょう。法律や制度が変わっても、ベースにあるのは「私たち消費者が安心して、質の良い電気が使えること」。電力自由化もその一環です。

「よく分からないからそのまま何もしない」と、結局は何も分からないまま。電力自由化は国が進める改革を、私たち一般の消費者が知る良い機会とも言えます。電気事業のことを知るという意味でも、気軽に電力会社の乗り換えを検討してみてはいかがですか?

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